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2012年5月12日 (土)

佐々木譲「地層捜査」(文芸春秋)

評価4

 時効廃止を受けて、15年前に四谷・荒木町で老女が殺害された事件の捜査が再開された。水戸部刑事と元刑事の加納が捜査に当たる。

 現場はかつて置き屋や料亭が並んでいた花街。老女もまた芸妓から置き屋の主になった女だった。

 芸妓(老女)と若い芸妓との確執。若い芸妓の失踪。老女のだんなとなった会社社長。若い芸妓と恋仲にあった料理人…。水戸部は数十年前までさかのぼって土地の雰囲気や歴史をつかんでいく。

 そして加納は埋もれていた別の事件を掘り起こし、水戸部は地道な捜査とひらめきで老女殺害事件の真相に迫る。

 再捜査を前に捜査書類を破り取ったのは誰なのか。その行為に秘められた思いとは。

 派手さはないが、真相に近づく過程をじっくり読ませる良質な本格派ミステリーだと思う。ラストが心地よい余韻を残す。

 街並みや地形の詳細な描写がわかりずらいが、それは理解できなくても楽しめる。ただ、真剣に読むなら年表でもつくりながら読んだ方がさらにおもしろいかも。

2012年5月 2日 (水)

道尾秀介「ラットマン」(光文社文庫)

評価3

 姫川ら4人は高校時代からのバンド仲間。ただ、紅一点だったひかりは妹の桂にドラマーを引き継いでいる。

 姫川が小1の時に小3の姉が2階から転落して死亡している。一方、練習中のスタジオでひかりが大型アンプの下敷きになって死亡した。

 この2人の「姉」の死をめぐる謎が物語の中心で、姫川と家族との関係、ひかりや桂との関係が人間ドラマとして添えられる。

 最後にひかりの死の真相が明らかになった後、23年前の姫川の姉の死の真相も明らかになる。誤解と、愛する者を守ろうとする優しさが、二つの事件に共通していた。

 おもしろいのだが、道尾秀介のミスリードはいつものことながらやりすぎで、うまさを感じさせない。事件の真相は、そこにたどり着く過程を楽しませずにあっけなく語られてしまう。姫川が姉の死の真相に気付くのも唐突。何の必然性もなく、物語を美しく終わらせるための予定調和のように思える。

 268ページの最後の2行。「ライブの日―何かよくないことが起きるのではない。ふと、そんな気がした。」とあるが、「何かよくないことが起きるのではないか」でなければならないところ。

2012年5月 1日 (火)

アンドレス・オッペンハイマー「Castro's Final Hour」

評価4

 1989年にキューバの英雄である軍人が処刑されたオチョア事件や、冷戦終結、ソ連崩壊といった世界情勢の中のキューバの現状を記したノンフィクション。著者はキューバ、中南米報道に取り組む米国のオッペンハイマー。本書ではカストロ政権の崩壊を予言したが、それから約20年たっても政権が存続していることをどう評価するか問題があるほか、所詮はキューバと対立する米国からの見方という限界もあるものの、当時の現地の状況を知る上では大変参考になる。

 以下は、あくまで自分のために備忘録的に書いたメモなので、これを目にされる方が読んでも何のことか分からないかもしれません。すみません。

【1-2章】

 デラグアルディアがカストロに取り入り、麻薬取引にかかわるようになった経緯、オチョアの闇貿易やフィデルとの対立、2人の逮捕までが描かれる。

 カストロ政権はコロンビアの麻薬カルテルと一定の関係を保ってきた。それは対米カードとなり、カーター政権に対して関係正常化と引き換えにカリブ海からの麻薬流入阻止に協力するという提案となった。しかし、関係正常化交渉が破綻し、この提案も反故になった。

 麻薬取引にキューバが関与していることが米側の調査で明らかになると、キューバ当局も調査を開始。

 当時、ラウル・カストロ国防相率いる国防省と、アブランテス内相率いる内務省がライバル関係にあり、ラウルは資金力のある内務省をうとましく思っていた。ラウルは麻薬取引への内務省の関与について調査を開始。フィデルは内務省側にも調査を命じた。

 1989年5月28日、ラウルは、デラグアルディアの妻の父であるトラルバ運輸相の家で開かれたパーティーを盗聴。オチョアやデラグアルディアが体制に批判的な発言をしているのを聞いた。オチョアはアンゴラで戦った退役軍人の待遇に不満を漏らし、デラグアルディアは最近米国に亡命した軍人に同情するような発言をした。

 米税関当局は、アブランテス内相を麻薬密輸関係者との会合のため、公海上におびき出し、拉致して米国で裁判にかけるグレイハウンド作戦を立案。国務省には知らされなかった。しかし、キューバ側と接触することになっていた協力者が突然姿を消した。米当局は、協力者がキューバ側と接触し、計画を漏らしたと推測している。協力者が消えた89年6月12日、オチョアとデラグアルディアが逮捕された。

 オチョアは革命に至るゲリラ戦に18歳で参加。革命後は特に国外で戦績を積み、部下の信望も厚かった。フィデルとも親しい間柄だった。しかし、一方で、戦費をまかなうため、前任者と同様、規定外の貿易にも手を染めていた。そしてキューバの砂糖とアンゴラのダイヤモンドの貿易のためデラグアルディアと接近。89年までにパナマの銀行に20万ドルを蓄えた。だが、オチョアはそれを自分のために使うことはなく、西部軍の司令官に任命されたときのためにとっておいた。

 オチョアは、取引を任せていた部下に、コロンビアのメデジンカルテルとの接触を許可。しかし、麻薬取引にキューバ領土・領海を使わせることは認めず、メデジン側と折り合わなかった。結果としてオチョアは実際の麻薬取引には関わらなかったが、こうした経緯から立件された。

 オチョアとフィデルはアンゴラでの戦闘方針をめぐり対立していた。フィデルはキューバから何もかも仕切りたがり、87年に派遣されたオチョアは一部の命令は無視し、別の命令は自分なりの解釈で従った。オチョアは公然とフィデルを批判するようになった。

 88年12月アンゴラ和平が成立したが、署名式にはオチョアは派遣されなかった。89年、オチョアは帰任を命じられた。西部軍司令官になるとされたが、カストロ兄弟との対立から、その約束が果たされるかは疑わしくなっていた。

 ラウルは何とかオチョアの西部軍司令官就任を阻止しようと考えたが、フィデルが決めたことを覆すのは難しかった。しかし、デラグアルディアの兄弟の側近の恋人がアンゴラでオチョアらに性行為を強要されたと話していることが耳に入った。

 89年5月29日、ラウルはオチョアを呼び出し、トラルバ運輸相宅での会話やこの女性のこと、貿易について糾弾した。オチョアは不正なことはしていないと反論した。さらにソ連やポーランドが経済を開放していることを挙げ、キューバの遅れを指摘。ラウルは激怒し、司令官就任は認められないと伝えた。ラウルはオチョアを当面、国防省顧問とすることを決めた。

 ラウルはオチョアの亡命を懸念し、監視を命じた。

 6月2日、オチョアはラウルに面会を求め、貿易の利益はアンゴラでの空港建設などに使われ、自分の懐に入れたわけではないと釈明した。

 6月9日、ラウルはオチョアを呼び、裏切り者と糾弾した。オチョアは激しく反論したが、ラウルは逮捕を命じた。

【3章】裁判

 ガルシアマルケスは89年1月、ゴルバチョフのペレストロイカについてフィデルに「人間の顔をした新しい社会主義の始まりになるかもしれない」と指摘したがフィデルは「破滅に至る」との姿勢を示した。

 マルケスはオチョア逮捕のニュースを聞き、真相を知りたくなった。すぐに週末の飛行機を予約させた。

 裁判(military honor tribunal)は6月25日に始まった。前日に政府当局者が各被告を訪れ、フィデルからの、協力してほしいというメッセージを伝えた。裁判ではフィデルと革命への忠誠を誓い、裁判が政治的なものだといううわさを払拭するよう振る舞うようにという指示だった。こうした指示に従えば、命が助かる可能性が高いと使者は告げた。

 オチョアは裁判で、国家への裏切り行為を認め、命をもってつぐなうと述べた。フィデルやラウルの腐敗への関与を否定。フィデルへの忠誠の言葉を述べた。

 しかし、その後、グランマの報道から厳しい罰が予測されたため、正式な軍事法廷ではオチョアは罪を認めながらも釈明と言い訳に時間を費やし、いくつかの罪は否認した。

 ある晩、フィデルがデラグアルディアの独房を訪れ、麻薬取引の罪を全てかぶるなら寛大な措置をとると約束した。このことをデラグアルディアは、独房を後に訪れた娘に語った。彼は約束を守り、裁判で、自分が最大の責任者であり、上司は何も知らなかったと証言した。

 判決。14人中、オチョアやデラグアルディアら4人に死刑。ほかは10-30年の禁錮刑だった。

 マルケスはフィデルに、4人の処刑に反対する旨伝えたが、フィデルは聞かなかった。

 89年7月9日、国家評議会が開かれ、29人全員が出席。全会一致で死刑判決を承認した。

 処刑後、内務省の職員に対するパージが行われ、アブランテス内相も、腐敗や、腐敗を容認したとの罪で逮捕された。判決は禁錮20年だった。トラルバ運輸相も禁錮20年の判決を受けた。パージは他の省庁にも及んだ。内務省高官が去り、国防相高官がその穴を埋めた。

 1991年、服役中のアブランテス内相が心臓発作で死亡したが、彼はこれまで心臓病の病歴がなく、フィデルが麻薬取引に許可を与えていたか知る唯一の人物だっただけに、反カストロ派はその死に疑念を持った。

 筆者がパトリシオ・デラグアルディアの妻を通じてパトリシオに尋ねたところ、アブランテスは麻薬密輸取引の一部を承認していたことをパトリシオに認めたという。さらに、フィデルが麻薬取引を知っていたとも述べたという。1988年にフィデルはアブランテスに、当局が押収したコカインを東欧の国を通じて売却するよう命じたという。許可された取引とそうでない取引があり、フィデルの知らないところで行われた取引が発覚したときに全てが破綻した。

 (著者の結論)フィデルは時々、麻薬取引を黙認していた。今回の事件はフィデルが決めた限度を超えていた。フィデルはそれを利用して、オチョアやデラグアルディア兄弟ら、改革の必要性を認め、経済的な力も持つ脅威を排除した。

 オチョアらの処刑や、一連のパージによって、フィデルは、国民や軍、世界に、キューバが「新思考」を許容しないとの警告を送った。

【4章】

 当時のキューバは闇市場なしで人々が暮らせない状況だったが、政府はそれを黙認していた。ただ、皆がそういった違法行為をしていたために、何かあればすぐに逮捕できるような状況でもあった。

 この章では、当時のキューバ人の困窮状態が描かれる。一方で、教育、医療など、革命の成果についても触れられる。

【5章】パナマ侵攻

 パナマはキューバにとって、西側の物資の経由地であると同時に、政治的にも、中南米の左翼ゲリラとの接点であった。そのため、1989年に米国がパナマに侵攻して、ノリエガを逮捕したことは大きな打撃だった。

 一方で、ノリエガはCIAがコントラに武器を供給するための航空機がパナマの空港を利用するのを許可するなど、CIAに協力しており、カストロはノリエガを信用していなかった。実際、パナマの情報機関はパナマの国際空港に降り立つキューバ人とリビア人のパスポートをコピーし、CIAに渡していた。

 しかし、カストロはノリエガを失う余裕はなかった。そこで1987年以降、レーガン政権がパナマへの軍事・経済援助を停止し、ノリエガが米国と対立し始めると、ノリエガがキューバに接近すると読み、一定程度、ノリエガを支援しようと決めていた。

 キューバは、1988年2月に米国がノリエガを起訴する少なくとも2カ月前からパナマに2年にわたり、多大な軍事援助を行った。

 1987年9月、ノリエガはキューバに支援を求める使者を送った。カストロは、民兵を組織し、侵攻は多大な人命を奪うことを分からせ、米国に米国の侵攻に数日間たえれば、国連が介入、第三世界を支援するので、外交的に勝利できる、とアドバイスした。

 ノリエガはSA-7地対空ミサイルを求めたが、キューバは応じなかった。ノリエガはリビアやPLOにもミサイルの供与を求めたが、間に合わなかった。

 キューバがミサイルを供与しなかったのは、ミサイルがどのように使われるか、ノリエガやパナマ軍を信用していなかったことが一因。万が一、民間機撃墜などに使われた場合、キューバが巻き込まれる恐れがあった。

【6章】ニカラグア

 ノリエガ政権崩壊から間もない1990年2月25日、ニカラグアのオルテガ政権が選挙で敗れた。

 オルテガによると、カストロは1979年のニカラグア革命のころから、オルテガに、キューバ型のマルクス主義を採用しないようにアドバイスした。革命の急進化は米国の侵攻を招くという懸念からだった。そのため、混合経済を維持し、野党の存在を認めるよう勧めた。海に囲まれたキューバと違い、ニカラグアは、ホンジュラスなど隣国からの侵攻を受ける危険性が高かった。また、カトリック教会を敵に回さないようにもアドバイスした。

 ニカラグアはソ連の協力を得て軍を強化したが、米国が支援する反政府ゲリラ、コントラの攻撃に手を焼いた。このため、1983年、カストロに派兵を求めたが、カストロは拒否。代わりにオチョアを派遣し、ゲリラ戦に対抗できるよう軍の再編を行わせた。

 83年10月25日、米国がグレナダに侵攻。キューバとニカラグアは協力を強めた。カストロは米軍が中米に侵攻した場合の派兵も検討し始めた。

 85年、ニカラグアは、米軍が侵攻した場合、エルサルバドルに戦車で侵攻し、在コスタリカの米国大使館を空爆して戦線を拡大する計画を立てた。一方、カストロは、ニカラグアにいる全てのキューバ人を動員してホンジュラスに侵攻する計画を立てた。

 キューバは石油などをニカラグアに供与。カストロにとってニカラグアは外交的孤立を終わらせ、革命勢力ブロックを米大陸につくる夢への大きな一歩だった。また、米国の注意を一身に集めないためにも革命の輸出は必要だった。

 しかし、1987年8月7日に、ニカラグアが中米紛争解決のためのエスキプラス・プランに署名するにあたって両国は対立した。同プランは、ニカラグアとエルサルバドルに、反対勢力との対話呼び掛け、一方で、米、ソ連、キューバに対しては、反対勢力への支援をやめるよう呼び掛けるものだった。

 これに対し、キューバは中米5カ国の同プランの代わりに、メキシコ、パナマ、コロンビア、ベネズエラを含むコンタドラ・グループの枠組みでの政治的解決が望ましいと考えていた。

 87年9月、キューバは、サンディニスタ政権と親しかったフリアン・ロペス駐ニカラグア大使を解任した。ロペスが電話でラウルをけなすような悪口を言ったことが盗聴されたといううわさが流れ、また、サンディニスタ政権は、ロペスがエスキプラス・プランを支持したために解任されたと考えた。

 キューバは新大使に、かつて軍事顧問としてニカラグアにいたペレス・レスカノ准将を任命したが、ニカラグアは、和平をすすめるにあたって外国にあやまったメッセージを送ることになるとして拒絶した。カストロは撤回し、新大使を送った。

 和平合意を受けて、ニカラグアは、反政府集会や、反体制のプレンサ紙の再開などを認めた。国有化された資産が革命前の所有者に戻された。そして89年には、90年に自由選挙を行うことを決めた。

 そのときまでに、ニカラグア経済は、インフレ率が35000%にも上るなど疲弊していた。

 カストロは表向き、ニカラグア政府の決定を指示したが、実際にはそうではなかった。

 オルテガは選挙に勝てると考えていたが、カストロは、米国の経済封鎖の影響で経済が疲弊していることや、コントラに対抗するために維持している徴兵制度が不人気であることを挙げ、不利だと伝えた。

 両国関係は次第に悪化した。1989年12月13日、ニカラグアはコスタリカのサンイシドロ・デ・コロナドで開かれた中米首脳会議で、キューバが支援するエルサルバドルのFMLNを避難する合意に署名した。

 同年末にマナグアのキューバ大使館で開かれたパーティも寒々しいものだった。オルテガは数分立ち寄っただけだった。

 選挙にあたり、オルテガは、米国の資金が野党側に流れるのを認めた。カストロはこうした譲歩を批判した。

 選挙はチャモロが55%を得票、オルテガは41%だった。

 カストロは、ニカラグアにいた千人以上の国際主義労働者や顧問の引き揚げを命じた。

 ノリエガはエンダラ政権に取って代わられ、オルテガは選挙で敗れ、アンゴラのドスサントスも自由選挙に向けて動きだした。ソ連からの支援も先細りになっていた。

 1990年3月6日には国連人権委員会が、キューバの人権侵害を調査するための決議を採択したが、米国とともにチェコスロバキアやポーランドが提案国となり、ハンガリーやブルガリアが支持した。アルゼンチンやブラジルが棄権した。

【7章】ソ連

 1989年までにキューバには1万2000人以上のソ連の技術者や軍事支援要員が、家族とともにいた。彼らは米ドルで給与の一部を受け取り、家賃や電話代、光熱費がキューバ側によってまかなわれるなど、母国にいるより恵まれた生活をしていた。彼らは独自のレストランやスーパーを持ち、キューバ人とは隔絶された生活をしていた。

 そうしたソ連人が一斉に帰国を始めた。 

 1970年代半ばまでキューバの西側との貿易は40%以上を占めていたが、76年にCOMECONに加盟したため、その割合は減り、89年には全貿易額の70%以上がソ連、17%が他の東側諸国、13%が西側になっていた。キューバは砂糖やニッケルを供給する役割を負い、自給を目指す政策を放棄した。

 89年4月2日、ゴルバチョフがキューバを訪問した。ゴルバチョフは国会で革命輸出に反対する方針を表明したが、一方で、政治的開放圧力をかけないとも述べた。

 ソ連の代表団はこの訪問の期間中、キューバに、今後の経済取引でドルでの支払を求める旨伝えた。

 ソ連の企業は自治権を与えられたため、キューバは今やソ連当局とでなく、各企業と交渉しなければならなくなった。冷蔵庫の会社はドルでの支払を要求した。

 COMECONもドルでの取引を採用しようとしていた。

 ソ連のメディアや議会ではキューバへの支援に対する疑問の声が高まった。

 1990年4月にキューバを訪れた代表団はカストロから好待遇を受け、工場や建設現場などを魅せられた。穀物や原材料をこれまでの水準で出荷するという1年間の貿易協定に署名したが、これはキューバ側の予測を上回る成果だった。しかし、代表団のトップ、アバルキンは帰国後、議会で集中砲火を浴びた。

 90年6月、次の代表団がキューバを訪問。91-96年の5カ年計画は立てられず、91年単年の協定を交渉すると告げた。新協定は、バーター取引をやめ、現金での支払いを求めるものだった。さらに輸送費の部分的な負担も要求した。

 90年12月の交渉では、ソ連は、これまで輸出していた700品目の製品を70に減らす方針で臨み、キューバが猛反発した。

 同月29日、双方が新合意に署名した。91年にソ連は前年比10%減の1000万トンの石油を供給、ソ連からの輸出はドル払い、輸送費の10%をキューバが支払う、という内容のものだった。

 91年が明けるとキューバ側は混乱した。それまではsれんが和の貿易相手は62だったが、それが2万5000になったのだ。

 91年始めにはソ連の新聞や雑誌が店頭から姿を消した。

 中南米の盟友を失い、ソ連の支援が後退する中、カストロは生き残りのため、省エネと食物増産に国民を駆り立てることになる。

【8章】特別期間

 カストロは「平和時の特別期間」を宣言。国民に省エネ、節約を求めた。中国から自転車が大量に輸入され、健康にも良く、先進国でも奨励されているとして、自転車使用を奨励した。

 食料や、シャンプー、せっけんなど生活必需品の不足が深刻化し、米国へ脱出する不法移民が急増した。米国にたどり着けずに死ぬ者も多かった。

 若者はロックに熱中し、時にはコンサートで警察と衝突するようになった。

【9章】ゲバラの孫

 ゲバラの孫カネク・サンチェス・ゲバラは革命家よりも、ヘビメタのロッカーになりたいと考えていた。

 「食べ物もない。自由もない」と言い、現状を批判する。

 彼の母親イルダ(よく日本に来ているアレイダではない)は1956年、メキシコ生まれでメキシコ国籍を持っている。カネクも持っており、18歳になったらメキシコに移住しようと思っている。

 ゲバラが生きていたら? 「この革命の成れの果てを認めなかっただろう」

 筆者はイルダの家を訪ねた。彼女は月に2ドル程度の年金をもらっている。家はキューバの標準に比べれば良いものだった。

 「わたしはほかの多くのキューバ人と同様、多くのことについて、戸惑い、懐疑的になっている」「キューバ革命は救えると思う。でもその方法は分からない」「共産主義は時代に乗り遅れた」

 でも、カネクが英語で歌を書くなど、米国の植民地のようになるのは見たくない。ただ、「私の父のように、カネクは自由にものを考える人」として尊重している。

 アリナ・フェルナンデス・レブエルタはカストロの唯一の娘だ。母はナタリア・レブエルタ。

 ナタリアはは革命後、1964年からパリの大使館で働いたが、2年後に帰国すると、カストロとの関係は疎遠になっていた。カストロには別の女性ダリア・ソト・デルバジェがいた。ダリアとの間には5人の男の子が生まれることになる。

 アリナとメキシコ人ビジネスマンとの結婚、アリナの出国希望をめぐり父娘は対立。それ以来、1988年に一度顔を合わせただけだ。

 筆者は彼女の家を訪ねた。カストロとの関係をこじらせないため、父との関係については話さず、キューバの政治状況について話すというのが条件だった。

 「キューバの社会主義は行き詰まっている」として、経済破綻や食料不足を挙げた。

 カストロのスローガン「社会主義か死か」が嫌いだという。「人は生きるために生まれるのであって、死ぬためではない」

 自由が奪われていることに我慢がならない。情報が欠如している。国民の海外渡航を禁止していることも不満だ。

 「開放が必要だ。イデオロギー的な開放でなくても、せめて、経済的な開放だけでも」

 「独裁者というのは適切な言葉ではない。フィデルは暴君だ」

【10章】観光

 ソ連や東欧諸国の支援を受けられなくなったキューバは自力で外貨を獲得する必要に迫られ、観光業の振興を図った。1991年に初めて、外資がホテルに50%出資することを可能にした。

 政府はホテルなどのサービスの改善に努めたが、このことは従業員たちを困惑させた。

 一方、新しいホテルやレストランがオープンするのに、キューバ人たちがそこを訪れることはできなかった。同じレストランでも、キューバ人用の席と外国人用は分けられ、アパルトヘイト(人種隔離)のような状況が生まれた。ガソリンスタンドでも、列をなすキューバ人を尻目に、外国人は優先された。

 観光のほか、政権が力を入れたのはバイオテクノロジーだった。1986年には既に研究センターをオープン。髄膜炎のワクチン開発などで成果を上げた。しかし、91年半ばまでに、米国や西欧の基準をクリアしたキューバ製の薬品はなかった。キューバが望めたのは途上国への販売だけだった。しかし、売れる薬が少なければ、それを販売する事務所を海外に置くことはできない。リスクが高すぎるからだ。先進国との競争は、生産コストの安さ=科学者の賃金の安さだった。

 キューバ政府は、バイテクで利益を上げるには外国企業とのジョイントベンチャーが必要との認識を持った。

 カストロのもう一つの取り組みは、観光と医学を組み合わせた医療ツーリズムだった。多くは中南米からだった。

 一方でカストロはソ連からの燃料や穀物輸入が完全に止まることを想定した準備を国民に進めさせた。オフィスを暗くしたり、レストランでの調理を炭でさせたりということだ。馬車が利用され、中国製自転車の修理店の開設が相次いだ。

 政権では企業にもっと自主性を持たせるべきだとするカルロス・ラヘやカルロス・アルダナらと、それを認めないホセ・ラモン・マチャド・ベントゥラとの間で意見が分かれた。

 カストロは政府や国営企業の人員削減に乗り出した。

 91年10月の第4回党大会を前に各地で開かれた職場集会などでは、市民から、小規模なビジネスの私営化や、農産物の自由市場や、建設労働者の自営化を求める声が相次いだ。

【11章】

 カストロ政権は、革命政権が倒れれば、人々は職や無料の医療制度を失うことになると、恐怖心をあおった。

 政権は改革を約束したがl、それは時間稼ぎにすぎなかった。

 党大会にむけた集会で110万の提案が寄せられた。多くの市民が自由農産物市場や報道の自由を求め、観光業における差別や、海外渡航の制限を批判した。

 批判はカストロや他の革命世代の指導者にもおよび、集会は91年4月までに中止された。

 こうした中、政府は芸術家や作家、映画製作者らの海外渡航制限を緩和。彼らの政権批判を封じ込めた。

 一方で、91年、カストロは新しい民兵組織を発足させ、抗議デモなどを抑え込む役割を負わせた。軍隊などではなく、ボランティアの人民がそれをするのだ。

 政府は反体制派を、政治犯としてではなく一般犯罪の罪で収監した。

 革命後、多くの白人が国を去ったため、現在は黒人が多数派。キューバ人は、カストロ政権が倒れれば白人が戻ってきて支配的になることや、かつて亡命キューバ人が住んでいた家屋から追い出されることを懸念している。

 また、一般人を巻き込んだテロをも辞さないとするオルランド・ボッシュのような人物の発言はキューバ人を怯えさせた。

【12章】

 人々はアフリカ由来の宗教サンテリアなどに救いを求め、その勢力は拡大。共産党もそれを無視できなくなり、経済的、政治的に支持することで、懐柔した。

 革命直後、サンテリアの支持者はカストロを神に選ばれた者として歓迎した。革命が1月1日というサンテリアにとって重要な日に成功したことや、1959年1月8日のカストロの演説の際に、神の息子であるオバタラのシンボルであるハトがカストロの肩にとまったことなどによる。しかし、こうした関係は短命だった。カストロが公共の場でのサンテリアの儀式を制限し、プライベートな場での信仰も監視下に置いたためだ。

 しかし80年代後半にマルクス主義が国民への訴求力をなくすと、政権はナイジェリアからサンテリアの指導者を招くなどした。

 しかしサンテリアの予言で91年が「裏切りや、家族や民族の分断」の年になるとされると、政府はさらなる対応を迫られた。

 政府は、草の根(特に黒人と貧困層)に強い影響力を持つサンテリアを、革命政権への支持を高めるため、むしろ積極的に利用する方向に転じた。

 サンテリアを支持したもう一つの理由は、カトリックをけん制するためだった。1990年、カストロはカトリックの司教たちに、キューバ向けの米国の放送ラジオ・マルティを非難するよう求め、関係改善を図ったが、逆に司教たちは、民主的改革や亡命キューバ人との和解を求めたのだ。

 政府寄りのサンテリアの聖職者を訪ねると、周辺住民に比べて豊かな暮らしをしていた。彼は、暴力や流血、戦争の予言について、キューバのことではなく、世界のことだといい、実際に湾岸戦争が始まったと述べた。

 聖職者は、例えば反体制派が仲間を募った際に、その情報をいち早くできる立場にあった。

 こうした聖職者は相談料をとったり、政府の許可なく集会を開いたりしていたため、いわば違法行為を行っていた。だから、当局はそれらに目をつぶることを見返りに協力者にすることができた。ただ実際に聖職者がどれだけの情報を当局に渡していたかは不明だ。

【13章】

 1991年8月、国家の威信をかけたパンアメリカンゲームがキューバで行われ、成功裏に終わった。そのころ、ソ連ではゴルバチョフを打倒するクーデターが起きた。クーデターを起こしたのはキューバ寄りの人たちだった。よろこびのつかのま、クーデター失敗の情報が入った。カストロはソ連の混乱が、ソ連からの石油供給に悪影響をもたらすことを懸念した。

 カストロは8月20日になって、中立的な声明を発表したが、クーデターの失敗後、ゴルバチョフが政権に戻ると、エリツィンの地位は確固たるものになった。共産党は解体された。エリツィンは自由市場経済への移行をすすめようとしていた。キューバへの支援にも強く反対した。

 エリツィンは89年9月にマイアミで亡命キューバ人と会談して、その立場を180転換させていた。

 亡命キューバ人側はエリツィンを政権につけ、キューバへの援助を減らそうとし、エリツィンは、米政府に影響力のある亡命キューバ人を通じて、米国でのイメージアップを狙っていた。

 90年9月にCANFの幹部がロシアを訪問。ロシアと亡命キューバ人との協力について非公式な合意が成立した。エリツィンは、公式訪米を求めて、ブッシュへの働き掛けを求め、CANFは、エリツィンからキューバ援助の停止の約束を取り付けた。

 クーデター失敗後、ソ連は急速にキューバとの協力の解消に進んだ。西側との関係改善においてカストロは障害だった。

 ゴルバチョフ自身はキューバとの良好な関係を維持しようとしたが、エリツィンの力は大きくなりすぎていた。

 91年9月11日、ゴルバチョフは、ベーカー米国務長官との共同記者会見で、キューバに駐在していた2800人規模の戦闘部隊の撤収を発表した。カストロは怒りを爆発させた。ゴルバチョフはカストロの事前にこれを知らせていなかったのだ。

 21日、ソ連は撤退についての協議のため、外務副大臣をキューバに派遣したが、キューバ側はより高いレベルでの協議を要求。協議は共同声明を出せないまま終わった。

 人々の生活は困窮。党大会を前に抜本的な改革への期待が高まり、反体制派は複数政党制の導入に期待した。

 共産党中央委員会は党大会の方向性について割れていた。カルロス・ラヘやロベルト・ロバイナ、アベル・プリエトら若手は政治的、経済的解放を支持した。一方、ホセ・マチャド・ベントゥラら古参はこれに反対した。こうした中、カストロは、譲歩しないこと、市場経済を導入しないことなどを公言していた。しかし、改革派は、これをポーズだと考えていた。

 改革派は、閣僚評議会に実権を持つ首相を置くことを計画した。カストロは国家のトップの地位においたままで、より、長期的、戦略的な決定に当たり、首相が日常の政治を行うというもので、カストロもその検討をエスカロナ国会議長に指示した。

 こうした中、ラウル・カストロは、特に経済問題で改革を支持した。

 1991年10月10日の共産党大会開会を前に、大会が非公開で行われることが発表された。真剣な討議が予想され、期待が高まった。

【14章】共産党大会

 大会の草案にはカストロの権限を減らしたり、首相ポストを新設することなどは一切書かれていなかった。自由農産物市場についても記載されていなかった。

 出席者は主に保守派が占めた。

 91年10月10日、大会が始まった。しかし、そこにはラウル・カストロの姿がなかった。開会の演説をしたエステバン・ラソは「軍や内務省は国防に当たるため、その代表者は出席していない」と説明した。

 9月のハイチのクーデターを受け、米軍が自国民救出のため、グアンタナモ基地に軍を派遣したことが関係しているようだった。ラウルは結局、4日間の会議の最後に現れ、そのように説明した。

 しかし、健康不安説や、ラウルが改革姿勢を示し、カストロと距離を置こうとしたなど、憶測を呼んだ。

 カストロの演説は改革への期待に水を浴びせるものだった。

 大会はカストロが提案した政治局と中央委員会のの機構改革を承認した。新しい政治局は25人から成り、11人増える。改革派はそのうち6人程度だった。

 驚くべきことに、党役員の選挙に当たり、3人がカストロの再選に反対し、4人がラウルの再選に反対した。

 決議は、国会と地方議会を国民の直接投票で選ぶことを承認したが、新選挙法制の詳細は今後の議論に委ねられた。また、中央委員会に、他の政治機関にまさる強大な権限を与えた。直接投票で選ばれた議会がカストロを排除しようとしても、中央委がそれをくつがえせることを意味した。

 筆者が草案と決議を比較したところ、ほとんど違いはなかった。大会は見せ物にすぎなかった。

【15章】革命へのレクイエム

 人々の生活は困窮。こじきや売春、腐敗がまん延した。カストロには現実が見えていないようで、取り巻きもそれを伝えようとしていなかった。観光アパルトヘイトが進行した。世論調査を実施する共産党の組織があるが、調査結果はカストロにとって都合のいいものばかりだった。それは、国家による人民支配が成功していることを意味していた。

 解雇や福祉の削減、観光業への労働者の流出が進めば、国民が体制に公然と反逆するようになるのは時間の問題だ。ただ、米国が介入しようとしたり、亡命キューバ人のテロが起きると、それはカストロに追い風になる。キューバ人は強い愛国心を持っているからだ。

 カストロが改革を早急に行わない限り、平和的な民主化は困難になり、キューバの社会主義の死は近い。

【終章】

 キューバ経済は93年になっても悪化の一途。市場経済にむけた改革の加速だけが経済を救えるだろう。しかし、カストロは改革を先送りしている。93年半ば、マイアミからの送金に期待してキューバが国民のドル保有を認めることが示唆された。それは経済の崩壊を一時的に止めるが、それは大きな犠牲を伴う。送金を受けられる国民がどうして安月給の政府の職にとどまるとするだろうか。体制は政治的コントロールを失うことになる。外国に親戚を持つ者と持たない者が分断される。

 経済の崩壊を止めるため、カストロは93年3月4日、ABCテレビのインタビューでクリントンについて「倫理のある人」と秋波を送った。これに先立つ2月24日には外国メディアのインタビューに、国家評議会議長としての任期顔切れる5年後に引退する可能性を示唆した。

 92年10月に米国で、経済封鎖を強化するトリセリ法が成立。カストロは米国の攻撃にタイするプロパガンダを積み上げる口実を得た。欧州や中南米諸国は、貿易の自由を侵害する同法に反対し、11月24日、国連総会は同法を批判する決議を採択した。外国メディアの関心は、キューバの人権問題から、米キューバ対立に戻っていった。

 一方、クリントンは大統領選を前に、早々に同法支持を表明。亡命キューバ人に取り入っていた。当時、キューバではやった冗談。「カストロの飛行機とクリントンの飛行機が空中衝突した。助かったのは誰か。1100万人のキューバ人だ」

 このころ、マイアミの武装亡命キューバ人によるテロがあり、このこともキューバ政府にプロパガンダの口実を与えた。しかし、アルファ66のメンバーが、キューバの国連代表部の外交官との接触テープを暴露し、キューバから資金を得てテロを起こす計画を話し合っていたことが判明。キューバ側は、テロリストの脅威を利用して政治的開放を拒絶する言い訳に利用していた。

 93年2月24日、国会の選挙があった。政権寄りの候補が大部分当選したが、候補は共産党が支配する大衆組織が任命しており、反体制派が立候補するのは不可能だった。共産党大会で約束していた自由な選挙とは懸け離れていた。

 93年3月15日、国会はカストロを新たに5年間、国家評議会議長に選出した。ラヘが副議長になり、アラルコンが国会議長になった。政権ナンバー3だったカルロス・アルダナは92年9月に不法な利得行為があったなどとして、追放されていた。外交筋は、アルダナが力をあまりにも強めていたことが原因と解釈した。

 またカストロの息子フィデリートは核問題の職務を解任された。

 

2012年4月22日 (日)

貫井徳郎「慟哭」(創元推理文庫)

評価4

 幼女連続殺人事件の指揮に当たる佐伯・警視庁捜査1課長を中心とする物語と、娘を失い、新興宗教に入信した揚げ句、狂信的な儀式で娘をよみがえらせようとする犯人の物語が、交互に進行する。

 読み始めてすぐに、犯人はこの人だろうと想像でき、結局、そのとおりなのだが、途中で、もしかしたら別人?と誤解してしまった。読んでいるうちはおもしろいんだけど、私は個人的にこういう叙述トリックは好きではない。

 以下、ネタバレあり。

 犯人が偽名をかたって住民票をとることで捜査1課長の住所を知るという場面が出てくるが、いくら何でも2人の関係上、そこまでしないと住所が分からないということはないのではないか。 

2012年4月10日 (火)

道尾秀介「シャドウ」(創元推理文庫)

評価4

 一気に読めてしまう面白さはさすが。

 ただ、ミスリードのため、余分なエピソードがたくさんあって(凰介の頭をよぎる映像や、水城徹の薬物依存など)、なんかすっきりしない感じ。うまく言えないけど。

 以下、ネタバレあり。

 小学5年の凰介の母咲枝が病死し、凰介は父洋一郎と2人になった。まもなく、家族ぐるみの付き合いがあった水城家の母恵が飛び降り自殺。娘の亜紀(小学5年)は交通事故で腕を骨折するが、自分から飛び出したらしい。

 亜紀の父徹は亜紀が自分の娘ではないと疑い、洋一郎は心の病気が再発する。凰介は、徹と洋一郎の恩師である精神科医、田地を頼るが…。

 最後に、ある殺人計画が明かされる。

2012年4月 8日 (日)

道尾秀介「龍神の雨」(新潮文庫)

評価4

 ミステリーの場合、ミスリードはつきものだが、このミスリードはいかがかと思う。巧妙でもなんでもなく、だまされた快感がない。

 そういう不満はあるが、兄弟愛や家族愛といったものを感じさせ、別の意味で良い作品だと思う。

 母親の死により、継父と暮らす蓮(社会人)と妹の楓(中三)。父親の死により、継母と暮らす辰也(中二)と弟の圭介(小学生)。降り続く雨の中、二組のきょうだいの運命が交錯する。

 以下、ネタバレあり。

 蓮が、仕事もせず暴力をふるう継父の殺害を企てたことから全てが始まる。蓮と楓は継父の遺体を山中に埋めるが、楓の元に脅迫状が届き始める。楓に恋する辰也は楓に接近。楓は脅迫状の主は辰也だと疑う。蓮は、継父が連日、母の墓参りをしていたことや、職を探していたことを知り、何かが違うことに気付き始める。

 友人の恋人に痴漢をしていたのが継父だと言われた蓮は、その痴漢の特徴を友人に尋ねるが、それは意外な人物の特徴と一致していた。

 

 

2012年4月 1日 (日)

道尾秀介「カラスの親指」(講談社文庫)

評価3

 初めて読んだ道尾作品が「鬼の跫音」で暗い作品だったので、かなり意外な作風でした。

 私としてはシリアスなムードの作品が好きなので、本作のようなコメディータッチの作品はあまり好みではありません。それでもそこそこおもしろかった。

 ネタバレあり。

 借金が元で家族も何もかもなくした中年男、武沢とテツさんの2人。盗みをはたらいていたのを助けた少女まひろは、かつて武沢が、取り立て屋の片棒をかつがされていたときに、自殺に追い込んだ女性の娘だった。

 武沢とテツ、まひろとその姉、その恋人の共同生活が始まったが、かつて武沢の裏切りで逮捕された闇金業者の報復が始まった。

 5人は闇金業者との戦いに打って出る。暴力で勝てるわけはないから、頭を使って彼らの資金を詐取しようと計画。盗聴機入りの携帯を売りつけ、口座番号を聞き出し、盗聴バスターズを名乗って事務所に侵入、空気銃で脅して金を奪い、まひろの転落死という大芝居を打つが…。

 全てが終わった後、武沢は、あまりにもこれまでの展開が出来過ぎていることに気付く。全てが仕組まれていたのか?

2012年3月19日 (月)

道尾秀介「鬼の跫音」(角川文庫)

評価4

 前から気になっていた道尾秀介。初めて読みました。

 本作はホラー、サスペンス、ミステリーの要素を併せ持つ6編からなる短編集。いずれの作品にもSという人物が出てきますが、別人で、それぞれの作品に関連はありません。

 どの作品も、ぐいぐい読ませて、最後にオチがあります。おもしろくてすぐに読めてしまいます。人間の悪意や意地の悪さ、汚さなどが時には猟奇的なエピソードを交えて描かれます。人間は怖いです。

 以下、ネタバレあり。

「鈴虫」

 11年前に行方不明になっていたSの遺体が埋められているのが発見され、友人だった「私」が警察の聴取を受ける。妻になった杏子は当時Sの恋人だった。隣の部屋に住む「私」に、杏子や他の女との情事を聞かせるSを「私」は憎んでいた。「私」は、Sが事故で死に、死体を遺棄したことは認めたが、その真相は…。殺人現場を見ていた鈴虫に「私」は苦しめられる。

「ケモノ」

 受験に失敗するなどして、家族に冷たくされてきた「僕」は、ある日、刑務所作業製品のいすが壊れたことで、いすの脚に隠されたメッセージを見つける。それは40年余り前の一家猟奇的殺人事件の犯人Sのものだった。残されたSの妹を訪ね、事件の第一発見者を訪ねた「僕」はメッセージの意味と、「ケモノの家」で起きた事件の真相を知り、自分の家族のことを思うが…

「よいぎつね」

 高校生時代に悪友にそそのかされて起こした強姦事件。その町を20年ぶりに訪れた「私」は、まさに少女を襲おうとしている自分の姿を見つけて、後をつける。死を目前に、殺したと思った少女は生きていたのか、自分があとをつけたのは自分がはらませた子供だったのか、それならかつて自分が埋めた死体は誰のものだったのか…、思いをめぐらせる。

「箱詰めの文字」

 あなたの家から貯金箱を盗んだとして謝りに来た少年。しかし「僕」はその招き猫に見覚えがない。貯金箱から「残念だ」と書かれたメッセージだけが出てきた。「僕」はかつてSの書いた小説を自分のものとして発表し、作家デビューをした。メッセージはSからのものだと思い、「僕」は口封じのためSの家を訪ねるが、そこにいたのは…

「冬の鬼」

 「私」(女性)は東京で火事に遭い、全てを失ったが、そこにSが現れ、生まれ故郷の九州に戻ってSと暮らすことになった。「私」は火事で顔にひどいやけどを負い、顔を見ないため、鏡を捨て、硝子には古新聞を張ったが、Sの目には「私」の姿が映っていた。「一生、私の顔を見ないでください」。「私」の願いに応えたSの究極の方法とは…。

「悪意の顔」

 小学生の「僕」はSのいじめを受けていた。ある日、ある女性と出会うが、その女性は「僕」の「怖がりの心」をキャンバスに閉じ込めてくれた。いじめを打ち明けた「僕」に女性はSをキャンバスに閉じ込めることを提案。「僕」はSを女性の家に連れて行き、Sを残したまま去ろうとすると中からSの悲鳴が聞こえてきた。翌日、頭にけがをしたSが登校。女性に家に行くと、女性はキャンバスの絵の中に入っていた。「僕」は、キャンバスにSの悪意を閉じ込めたもののSに逃げられた女性が警察への通報を恐れ、キャンバスに逃げ込んだと考えるが…。

2012年3月18日 (日)

キャベツとツナのスパゲティ

(1)鍋にお湯を沸かし、スパゲティをゆでる

(2)この間にキャベツを洗い、ちぎる。フライパンでにんにくのみじん切りと鷹の爪、ツナ缶のツナをたっぷりのオリーブオイルでいためる

(3)スパゲティをゆでている鍋にキャベツを投入

(4)ゆであがったスパとキャベツをフライパンに移して、コショウを振って軽くいためる

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ミネストローネ

 (1)タマネギ1個、ニンジン1本、ジャガイモ小3個、ベーコンを鍋で、オリーブオイルで軽く炒める。

 (2)トマト缶と適量の水、コンソメ2-3個を投入。

 (3)大豆の水煮缶、セロリを投入。

 材料がやわらかくなったらできあがり。

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«湊かなえ「少女」(早川書房)